★アルコール依存症の家族が幸せになる方法★

アルコール依存症の夫との13年の結婚生活が終わりました。なぜ夫から離婚を告げられたのか?出会いから別居、再同居、離婚、“手放す”ことの意味、“愛って何?”、依存症の本人と共に幸せに生きていくために家族が出来ること、など色々な経験を、みなさんと分かち合えたらいいなと思っています

「シンプルに」~アルコール依存症の言動に巻き込まれず

こんにちは!まききちです。お越しいただきましてありがとうございます。
はじめましての方は、こちらをどうぞお読みください^^

 

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日本では様々な災害があり、被害に遭われた方がたくさんいらっしゃると思います。
神戸の友人宅は1階が浸水してしまい、復旧にとても時間が掛かっていると聞きました。
私も阪神大震災と東日本大震災、両方を経験しましたが、普通の生活が出来ることのありがたさを痛感しました。

今回、被害に遭われ、怖い思いをされた皆様には心からお見舞い申し上げると共に、1日も早い復旧をお祈り申し上げます。早く普通の生活に戻れますように。

 

では、今日もお気に入り書籍から。。

 

アラノンのスローガンに、「シンプルに」というものがある。

これは、他の人々の行動や感情についての憶測で、自分の生き方を複雑に する必要はないということである。

このスローガンは、次のような素晴らしい言葉を言えるよう私を助けてくれる。

「このことについては少し時間をください」

「結論が出たら、もう一度お話ししましょう」

「今、私の中でははっきりとした答えが出ていません」

「それについて私は答えを知りません」

など。

 

“シンプルに”ということは、怒りに対して直接答える必要がないということも示唆している。

非理論的な人に対して、私の動機を説明する必要もない

“シンプルに”というスローガンは、私の人としての尊厳が守られ侵害されないものだということも意味する。
私に、人生の愛すべき自由な事柄を楽しむ時間を与えてくれる。すなわち、深呼吸をしたり、寛容にほほえんだり、そして大声で笑ったり!

“シンプルに”を実践するとき、自分の人生を楽しむことができるのだ。



では、“シンプルに”を実践したら何が起こるのだろう?

・私は自分の周りの単純な事柄に目を向ける ー ほほえみ、美しい日の出、友人に向ける温かい思い ー そして今日一日、自分の生き方の中に“シンプル”であることを取り入れるのだ。

 

 

アルコール依存症の家族である私たちは、物事を複雑にしてしまうクセがあります。

アルコール依存症は巧妙で不可解で、そして強力な病気なので、私たちはその巧妙さに巻き込まれ、不可解な言動に悩み苦しみます。とても強力なのです。

でも、上にあるように

本当は私たちは、「怒りに対して直接答える必要がない」し

「非理論的な人に対して、私の動機を説明する必要もない」のです。

巻き込まれた私たち家族は、つい怒りに対して怒りですぐに反応してしまうし、ワケの分からないことを言って責められると、つい必死に説明して相手に分からせようとしてしまいます。


でも、そんな永遠に続く無駄なことをして、自分の人生を不幸なものにする必要はないのです。

「シンプルに」。


アルコール依存症は病気です。
相手と同じ土俵に乗ってしまうと、こちらも病気になります。

また私たちは、相手が依存症でなくても、つい人の行動や感情についての憶測や妄想で、自分の生き方を複雑にしてしまいがちです。
憶測や妄想は自分の頭の中「だけ」で起こっていることです。
事実ではありません。自分で自分を苦しめるのはやめましょう。

 

シンプルに、事実だけに目を向ける。
自分のことだけに集中して今日も1日、平安に過ごせますように★

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私は依存症者を救えない

 

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今日もお気に入りの本の1ページを紹介させていただきます。

家族会に長くいればいるほど、よりハッキリと、アルコール依存症は本当に病気であり、強迫的であり、“とらわれ”であることが理解できる。

しかし、私自身もまた、強迫の病気にとりつかれていたのではないだろうか?

私は、この依存症者を「救う」と決めこんではいなかったか? 

そしてその思い込みは、依存症者がアルコールに依存症状を起こしているのと同じくらい強いものではなかったか?

アルコール依存症という“動かすことができないもの” を私が動かそうとしていたのだから、状況が行き詰まったのも不思議ではない。

私が救うことができるのは、自分自身だけであることを忘れないようにしよう。

私自身の正常さを保つため、そして家族の幸福のために欠かせないのは、
自己憐憫や恨み、そして失望という下り坂から自分が転げ落ちないようにすることである。

私は、「他の人の人生を生きることはできない」ということを理解するようになった。


自分自身の至らない部分や過ちを正そうと私が努力していることは、アルコール依存症者に悪い影響を与えない。

彼は、私が自分の問題を解決していかなければならないのと全く同じように、彼自身の問題を解決する権利と義務がある。

アラノンや家族会で提案されている「手出しをしない」という方法は、彼の助けを求める気持ちを強めるのに役立つだろう。


他の人を、それがたとえどんなに身近な人でも、その人を方向づけたりコントロールすることは、私がすることではない、と学ぶことが出来るよう、私は祈り求める。

また、松葉づえになることはやめよう。
私は、自分自身以外の誰の人生も生きることはできない。

 

 今日も、他の人の問題はその人に任せて、自分だけの良い1日を過ごしましょう♪

 

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私をバカにしてる? ~依存症者のひどい言動の理由~

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おはようございます。

私も、その他多くのアルコール依存症者の家族のみなさんと同じように、彼が飲んでいる時でもいない時でも、彼の言動に対して、いつも彼を責めていました。
そうすることで、彼が態度を改めると思っていたからです。

ミーティングに繋がるまでは、アルコール依存症が病気だという認識がなく、彼のおかしな発言や行動は、すべて彼自身の意思で行われているのだと勘違いしていました。
私のことなどどうでもいいと思っている、私を見下している、バカにしている、などと思っていたのです。

でも、本当は違っていました。
私に対する彼の酷い言葉や行動は、実は、自分自身を守るためだったのです。。

今日は久しぶりに、お気に入りの本の1ページを紹介させていただきます。

家族会のミーティングで、ある時AAから招かれたスピーカーが
アルコール依存症本人の立場からみた洞察を話した。

「アルコール依存症本人ではない、その家族の人たちは、本人が非常に傷つきやすい状態にあることを分かっておられないようです。
彼は常に自己防衛をしていなければならない。なぜなら、自分がどれだけの苦痛を家族に与えているかを、心の奥底では分かっているからです。家族から非難を受けるのは当然だと知っているからなのです。

みなさんは、ご自分たちのカンシャクや酷い言葉が、病気の犬にムチを打っているようなものであると思ったことはおありでしょうか?

彼は自分自身でいつもムチ打っていることを忘れないであげてください。

もしあなたがそれ以上に彼のことを責めるなら、彼の自責の念があなたに向くよう、あなた自身で仕向けているようなものです。

さらに、それは彼が「底を付くこと」をさまたげ、また、“ソブラエティ(飲まないでいること)を手に入れためには助けが必要である” ということに気づくチャンスを取り上げることになります」

 

 

アルコール依存症の彼と私は、2人ともアルコール依存症によって、それぞれ異なった状態ではあるが、苦しんでいることは同じである。

飲まないでいられる私は、彼の外側がどんなに挑戦的で防衛的であっても、彼の中にある深い自己嫌悪に気づいてあげられる人でありたい。

もし私が、不幸にしてアルコール依存症であったとしたら、一緒に住んでいる人にどう扱ってもらいたいだろうか?

 

 

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