こんにちは!まききちです。お越しいただきましてありがとうございます。
はじめましての方は、こちらをどうぞお読みください^^
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なぜ私はそんなにがまん強かったのでしょう?
そのナゾを解くカギは、私の生い立ちにあります。
私の両親は、私が小学校1年生の時に離婚しました。
母は、私を連れて家を出て、ひとりっ子だった私は母ひとり子ひとりの家庭で育ちました。
当初、母は生計を立てるため、昼も夜も働いていました。
昼の仕事が終わると、一度帰ってきて夕食の支度をし、一緒に食べたらすぐに炉端焼きやさんの仕事に向かいます。
知らない土地で、いきなり母と2人暮らしになり、学校から帰っても誰もいなくて寝る時もいつもひとり。
夕食のあとは、寝る時間までアパートの隣のお宅で過ごさせてもらっていました。
寝る時間になると、ひとり家に帰って寝ます。
(その時の記憶では、寝る前のトイレを終えたら、お化けが追っかけてくるんじゃないかと怖くて、走って布団にもぐりこんでいました。笑)
いま私には小学校高学年の息子がいるのですが、もし私が母と同じように、昼も夜も働きに出ないといけなくなったらと想像すると、高学年とはいえ、子どもをひとり置いて寝かせるなんて、可哀相すぎて、考えただけでも涙が出ます。
私が大人になってから、母も小さな私をひとり家に残して夜仕事に行くのは辛かった、と打ち明けてくれました。
もちろん、その時の私は寂しくて寂しくて、怖くて不安で仕方なかったと思います。
でも、“ここで私が寂しい、怖いと言うと、お母さんが働けなくなる=自分も食べていけなくなる”ということが、子どもでも本能のどこかで分かったのでしょう。
一度も、母に寂しいと言ったことはありません。
ずっとがまんしていました。
それから再び小3で転校した私は、転校2日目から3年間いじめられました。
女子の間で、全員からずっと無視されていました。
無視をしようと言った本人たちは、学校が終わってからの時間は私と遊んでくれたりもしましたが、いつもバカにされていました。
転校生で小さくて細かった私。声も小さく、大人しくてがまん強い。
いじわるな女子には良いターゲットだったのでしょう。
私はまったく記憶になかったのですが、母いわく、小学校6年のある日、朝ご飯を食べていたら急に私が泣き出したので、どうしたのかと尋ねると、いじめられていることを告白したそうです。
これも大人になってから、母と話している時に聞きました。
自分にとってあまりにも辛い記憶は、脳から消去されるようです。
他にも、20年ほど消えていた記憶がよみがえったことがあります。
その事については、またどこかでお話させていただくとして。。
話を元に戻しましょう。
私がいじめられていると知ったら、母が悲しむ。
いじめられている事を知られるのが恥ずかしい。
そんな気持ちがあって、ずっと誰にも言いませんでした。
でもその日はがまんしきれず、思わず涙が出てしまったのでしょう。
ここでも、私はずっとがまんしていたのです。
それ以降、中学高校は誰も知っている人のいない私立に行かせてもらったので、いじめとは無縁の生活を送ることができ、おかげさまで楽しい青春時代を過ごすことができました。
その時もそれからもずっと、母の前でも他の人の前でも、自分ひとりの時でも私は泣くことができませんでした。
人に弱いと思われたくない、人に心配されたくない、自分は泣いてはいけない。そんな気持ちがずっとあったのです。
ずっと自分は強いのだと思っていましたが、誰の前でも涙を見せられて、その時に感情を吐き出せる人の方が、実は強いんだということに、大人になり母親が亡くなってから気づきました。
母親は、ずっと私の事が心配だったと思います。
小さい時から、悲しい気持ちや辛い気持ちを外に出さなかったのですから。
私の息子もそういった感情をあまり出さないので、「悲しいこと、辛いことはがまんせずに、お母さんでもお父さんでも友達でもいいから、話してね」と伝えるようにしています。
もちろん、我慢が必要な場面もたくさんあるでしょう。
でも、特に家庭の事情においては、悲しい・辛い・苦しい、という感情は、がまんせずに吐き出すのがいいと思います。
そうしないと、変なところでがまん強い人間になってしまい、依存症の人とくっついてしまったり、自分が依存症になってしまったりすることもあり得ます。
実は、依存症の家族の会に繋がって、「12ステップ」というプログラムに取り込むまで、自分ががまん強いなどと思ったことは ありませんでした。
このプログラムをすることで、子供の頃の感情などを冷静に分析することができたのです。
私がプログラムに取り組んだ時の話は、またどこかでさせていただきたいと思っています。
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