こんにちは!まききちです。お越しいただきましてありがとうございます。
はじめましての方は、こちらをどうぞお読みください^^
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さて、次はステップ5です。
ステップ4で、すべてのリストを書き終えたら、そのリストを “もう一人の信頼できる人と、神と一緒に” 吟味していきます。
だいたいの場合、これまでずっと一緒にやってきたスポンサーと一緒にやります。
この業界(笑)での神というのは、いわゆる宗教のような、“みんなで崇める同一の神”ではなく、自分が信じるものであれば何でもいいんです。
目の前にあるコップでもいいし、消しゴムでも何でも。
要は、自分がすべてをコントロールせず、何かにお任せして手放す。ということです。
私たちは、自分も自分以外の人や物、事などもすべてをコントロールしていると思って生きてきて、最終的に出来なくなって底付きをしました。
これからは自分で何とかしようとするのではなく、“自分を超えた大きな力” にすべてをお任せして手放します。
そうすると、自分が苦しさから解放されるだけでなく、すべてがうまくいきます。
私も最初は“神”と言われても、全く意味が分からなくて、何をどう信じてお任せしていいのやら分かりませんでした。
時間が経ったある時からは、自我をキレイにキレイに取り払った、自分の中の奥のほ~うにある “良心” が神なのではないかな、と思っています。
はい、なかなか理解しづらいと思います。
すべてが自分の思い通りにならなくて、生きづらさを抱えていらっしゃる方は、自助グループに通って、ぜひステップを踏んでください^^
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ステップ4で、すさまじい量の恨みが出ました。
そして、自分ではすべて出し切ったと思っていました。
が、私の中の一番大きな恨みが、ステップ5で出てきました。
それは、父親に対する恨みでした。
私の両親は、私が小2の時に離婚しました。
私は母親と一緒に暮らすようになり、母は朝から晩まで一生懸命働いて、私を育ててくれました。
離婚して間もないころ、母から直接聞いたのか、母が誰かに話しているのを聞いたのかは覚えていないのですが、“父親が私の養育費を払わない”という言葉を聞きました。
その事が私の中で父親に対する恨みになっていたようです。
でも私は自分で、父親を恨んでいるなんて一度も思ったことがありませんでした。
おそらく、それを抱えて生きていると辛いから、子供ながらに、自分の中ですぐにフタをしてしまっていたのでしょう。
自分では、父親に対しては何の感情もないと思っていました。
お正月には父方の親戚が集まるところに毎年ひとりで行っていたので、年に1度は会っていましたが、特に父親が嫌いだとか、逆に好きだという感情もありませんでした。
父親も、私と同じように、特に私を愛しているという態度も示しませんでしたし、もちろん嫌われていると思ったこともありませんでした。
年頃になると、こんなに何も感情がない私は、きっと父親譲りなのだろうと思うようになりました。
でも長いときが流れた今、それは父親譲りなのではなく、感情がない人間なのでもなく、父親に対する恨みを、自分のどこか奥深くに押し込めていたからだということを知ることができました。
それを知った瞬間、泣いて泣いて、泣きました。
そして、自分で気づいていなかったとはいえ、こんなに長い間、恨み続けていて本当に申し訳ない気持ちになりました。
子供にとって親の言葉は絶大です。
母親の、“父親が私の養育費を払わない”という一言で、私は父親に対する恨みを(しかもフタをして自分でも気づいていなかった)長年、抱えて生きてきてしまったのです。
それ以来、私は夫がどんなひどい事を言おうとしようと、子供には夫の悪い事は言わないようにしようと心に決めました。
子供にはまったく関係のないことなのです。
その時の自分の感情で、子供に生きづらさを抱えさせたくありません。
とはいえ、一生で一度しか親になる機会はないし、誰もが初めて経験することばかりです。
だから誰も完ぺきにはなれないし、失敗もします。
でも、そういう事に気づいてしまった以上は、子供を苦しめないよう、出来る限りがんばりたいなと思っています。
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