こんにちは!まききちです。お越しいただきましてありがとうございます。
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今日も、お気に入りの本から。
いつも頭では分かってはいても、今考えると出来ていなかったことをズバリと指摘された気持ちになるお言葉です。
「アルコール依存症者は、自分のやり方を通し、自分にぶつかる苦しみから逃げ出すため、必要な狡猾さを持ち、私たちを操ることにおいて、年季の入った 芸術家である」という話はミーティングでよく聞くことである。
しかし、私たち自身同じ過ちをしばしば犯していることに気づいているだろうか?
彼を出し抜くために、あらゆることをしていないだろうか?
例えば、飲むのをやめさせようとすること、AAに参加させようとすること、もっと多くのミーティングへ行かせようとすること、あるいはミーティングに行く回数を減らさせようとすること。。
自分と彼の状況をいじくり回し、操ろうとするとき、私は本当に完全に正直で公平であると言えるだろうか?
私は、本当に依存症者を彼自身の人生にきるよう、自由にしているだろうか?
あるいは、私はいまだにボスであろうとしていないだろうか。
「自分自身のことに専念して、他の人のことに干渉するのをやめる =
“手を放す”のである」
私は、家族の会のミーティングにつながり、ステップを踏むようになってから、自分が元夫のすべてをコントロールしていた/操っていたことに気づかされました。
それまでは、元夫の飲酒のコントロールはしていたかもしれないけど、他のことは一切していなかったと自分では思っていました。
ですが実際は、彼の人生のすべてを操っていたのです。
常に、自分がすべてを仕切り、ボスでいようとしていました。
しかし、もっと後になるまで、彼も私のことを操っていたということには気づきませんでした。
依存症者は、こちらの反応を熟知した上で、色々言ってきたりしてきたりして、私たちを操っています。
こちらのことをコントロールしているのです。
それを知った時は、愕然としました。
こちらがコントロールしているとばかり思っていたのに、実は相手にもされていたなんて(笑)
そんな関係、どう考えてみても、健全な夫婦関係とは言えないですね。。
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