こんにちは!まききちです。お越しいただきましてありがとうございます。
はじめましての方は、こちらをどうぞお読みください^^
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アラノンの書物の中で私が最も好きなのは、
「アルコール依存症者の家族のためのガイド」である。
この本は、依存症者本人が自分の不安を解消するために、また飲むためのさらなる理由を作りだすために使う可能性のある “武器” について語っている。
これは、怒りを挑発し、不安を起こさせるあり方も含んでいる。
私の人生の中で出会ったアルコール依存症者は、私を非難し、計画や約束を破ることで、よく私に怒りと不安を起こさせたものだった。
彼はしばしば、人々の前でいろいろな事をしでかした。それは一般的につじつまの合わなくて頼りにならないものだった。
アラノンや家族会につながる前は、この依存症本人の言動や武器に、私の感じ方や行動をコントロールさせていた。
私はその事に怒っていて、自分の感情も傷つけていた。
私は、その都度怒りの防衛で反応したり、または落ち込みや自己卑下の中に静かに身を沈めていた。
私は、その文章の「~に対して怒る(to take offense)」の中の、"take" という言葉が、自分の選択を意味しているということを学んだ。自らtakeしているのだ。
私はなぜ、自ら怒りを選んで気分を悪くし、悲しみに陥らなければならないのか?
それよりも、喜びを選んでプログラムの道具の中から平安を選ばないのだろうか?
徐々に私は傷ついた感情で言動することをやめた。アルコール依存症者にそれらの感情をぶつけるよりも、自分のスポンサーとそれらのことについて話し合った。
私は、ゲームをすることや、防衛的言動で応戦することや、自己憐憫に陥ることをやめた。
アルコール依存症者に私の感情を傷つける力を私が与えている限り、彼は私の平安をコントロールできたのだ。
彼が私を攻撃することによって、自分の苦しみをやわらげる事を、もし私が許可しなかったら、私は彼の病気の中でゲームをしないで済んだのだ。
私は、切り離れることの訓練を実践した。そして、そのことは私を平安に導く、より健全な自尊心へと導いてくれた。
インフルエンザにかかっている人から自分自身を切り離して距離を置くことは、その病気にかかることから私を守ってくれる。アルコール依存症から感情的に自分を切り離すことは、同じように、抱えきれないほどの怒りや不安に自分を陥らせることから私自身を守る。
「愛が生き続けるための唯一の方法は、飲酒が続いているとき家族の一人一人がそれらにとらわれて苦しまないことを学び、また飲酒のしりぬぐいすることをやめることなのである」
そうですね。アルコール依存症者は、いつも人を非難し、計画や約束を破ることで私たちを怒らせたり落ち込ませたりします。
こちらが説得しようとしても、正しいことを言って応戦しても、相手には通じません。(病気だからです)
知らないうちに、あちらが仕掛けてきたゲームに参加して、自分の感情を傷つけてしまっています。
本当に時間の無駄です。分かっていても、どうしても相手に〈普通の行動をしてほしい〉、〈普通の対応をしてほしい〉と思ってしまい、それを要求してしまいます。
でも、アルコール依存症はそういう病気なので、無駄なのです。
巻き込まれるとこちらが傷つき、不幸になります。
愛をもって手放しましょう。
今日も自分を自分で傷つけず、苦しませず、平安で幸せな一日を過ごせますように★
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